2010年06月02日
気がつけば中4日
毎度まいど当やおいブログに
お立ち寄りどうもありがとうございます。
気がつけば中4日の更新。
滞ってしまってごめんなさい。
ちととある事故について夢中になって
ネットサーフィン(←死語)しておりました。
今さらですけど123便についてです。
不謹慎ながらこの歳になるまで
関心を持ったことが無かったのですが、
とある方からいろいろな疑惑説をお聞きして
はまった次第でござる。
今の今まであの有名な本も最近の映画もスルーでした。
おかげで寝不足でござる。
いかんせん四半世紀も昔の話。
さて、真相はいかに?
少なくとも今のところ公式に発表されているのには
なんかキナ臭さを感じます。
お立ち寄りどうもありがとうございます。
気がつけば中4日の更新。
滞ってしまってごめんなさい。
ちととある事故について夢中になって
ネットサーフィン(←死語)しておりました。
今さらですけど123便についてです。
不謹慎ながらこの歳になるまで
関心を持ったことが無かったのですが、
とある方からいろいろな疑惑説をお聞きして
はまった次第でござる。
今の今まであの有名な本も最近の映画もスルーでした。
おかげで寝不足でござる。
いかんせん四半世紀も昔の話。
さて、真相はいかに?
少なくとも今のところ公式に発表されているのには
なんかキナ臭さを感じます。
Posted by なおたろ at 18:21│Comments(5)
│非日常
この記事へのコメント
おはようございます
久しぶりの記事はずいぶんと昔になってしまった事故ですか。
どんなことでもそうですが、真相はなかなかわからないですね。
大事なのは真相の追求だけでなく、事故の発生防止だと考えます。
これは基地問題も同じで、基地をどこに持っていくかではなく本来は不要のもの。ただ、現状なくすわけにいかないわけであり、ではどうやって国土を守るのか。本来、議論すべきは日米の関係であり、彼らからみれば日本は未だに敗戦国という位置づけを変えることなのですが、メディアもあまり大きな声では言いません(言えないというのが実情でしょう)
平和に暮らしていますが、波風立てずが無難なのでしょうね。
久しぶりの記事はずいぶんと昔になってしまった事故ですか。
どんなことでもそうですが、真相はなかなかわからないですね。
大事なのは真相の追求だけでなく、事故の発生防止だと考えます。
これは基地問題も同じで、基地をどこに持っていくかではなく本来は不要のもの。ただ、現状なくすわけにいかないわけであり、ではどうやって国土を守るのか。本来、議論すべきは日米の関係であり、彼らからみれば日本は未だに敗戦国という位置づけを変えることなのですが、メディアもあまり大きな声では言いません(言えないというのが実情でしょう)
平和に暮らしていますが、波風立てずが無難なのでしょうね。
Posted by 自遊人 at 2010年06月03日 05:00
自遊人さんこんにちは。
いやぁしばらく眠れそうにありません。
真相はいったいどうなんでしょうかねぇ。
ま、戦争に負けたというのだけは
事実ですから。
なかなかどうしてです。
南の島を車で走れば
敗戦国なんだなぁというのを実感できます。
いやぁしばらく眠れそうにありません。
真相はいったいどうなんでしょうかねぇ。
ま、戦争に負けたというのだけは
事実ですから。
なかなかどうしてです。
南の島を車で走れば
敗戦国なんだなぁというのを実感できます。
Posted by なおたろ at 2010年06月03日 12:53
うなされツイでに覗いてみれば・・・・
実は、前日に現場のすぐ南の峠(三国峠)、大雨のなか自転車で越えてたんだよね
未舗装の峠道は、行き交うクルマもなく轍が川のようになって、足元が滑って。
ナイロンのポンチョはたちまち防水が切れて、全身濡れネズミ。
暗くて、寒くて、山の中にひとり取り残されたような
暗くなる直前になんとか峠にたどり着き、
埼玉→長野 という、いかにもな風景の変化も大して感動せず
逃げるように峠を下り、川上村の公民館の軒先でキャンプ。
翌日、小海線目指して明るい日差しの中、ペダルを漕いで
その日はまだ明るい内に松原湖のキャンプ場についてくつろいでいたんだけど
遠くから響き渡る何機もの軍用ヘリの音と黒い姿になんなんだいったい?
と思いながら夕餉の支度。その時、ラジオで墜落事故のことを聞いた。
数年後、川上さんと現場へいった。
まだ当時は、今のように整備されていなくて、延々と山道を登り
「絶望の気配」を、生まれて初めて体験した。
焼けこげた木々はそのままで、斜面のあらゆる所に遺体があった箇所なのだろう
小さな木札が立てられていた。
後日、看護婦軍団に話したら咎められたけど、物見遊山で行ったわけではない。
ないがしろにして日常を生きていける気分ではなかったから。
不思議なのは、私は墜落する前の時間帯から、何機も行き交う軍用ヘリを見ていること。
墜落したのは午後7時前なのに。
角田四郎著「疑惑-JAL123便墜落事故」では、当時の中曽根首相体勢のもと
行われていた、米軍の軍艦からのミサイル発射演習による誤爆説を取り上げている
この本、終章に近づくにつれ、内容が希薄になってしまうのが残念だけれど
地方警察・自衛隊の確執、エゴそして振り回される現場の隊員たちの悲しみと疲れ
米軍の迅速な初動とそれを抑え込んだ政府、搭乗者なちの苦悩
それらの記述は、他の本や映画、記事と同様
怒りと悲しみがこみ上げる
ネットサーフィンで簡単に、ブラックボックスに記録された音声を聞くことができるけど
人が多く亡くなった場所を訪れて、少しでも痛みを感じることは、
Web世界にいる以上、より必要だと思う。
今でも、松原湖の爽やかな夕景の向こうに響く爆音は、夢に見る。
実は、前日に現場のすぐ南の峠(三国峠)、大雨のなか自転車で越えてたんだよね
未舗装の峠道は、行き交うクルマもなく轍が川のようになって、足元が滑って。
ナイロンのポンチョはたちまち防水が切れて、全身濡れネズミ。
暗くて、寒くて、山の中にひとり取り残されたような
暗くなる直前になんとか峠にたどり着き、
埼玉→長野 という、いかにもな風景の変化も大して感動せず
逃げるように峠を下り、川上村の公民館の軒先でキャンプ。
翌日、小海線目指して明るい日差しの中、ペダルを漕いで
その日はまだ明るい内に松原湖のキャンプ場についてくつろいでいたんだけど
遠くから響き渡る何機もの軍用ヘリの音と黒い姿になんなんだいったい?
と思いながら夕餉の支度。その時、ラジオで墜落事故のことを聞いた。
数年後、川上さんと現場へいった。
まだ当時は、今のように整備されていなくて、延々と山道を登り
「絶望の気配」を、生まれて初めて体験した。
焼けこげた木々はそのままで、斜面のあらゆる所に遺体があった箇所なのだろう
小さな木札が立てられていた。
後日、看護婦軍団に話したら咎められたけど、物見遊山で行ったわけではない。
ないがしろにして日常を生きていける気分ではなかったから。
不思議なのは、私は墜落する前の時間帯から、何機も行き交う軍用ヘリを見ていること。
墜落したのは午後7時前なのに。
角田四郎著「疑惑-JAL123便墜落事故」では、当時の中曽根首相体勢のもと
行われていた、米軍の軍艦からのミサイル発射演習による誤爆説を取り上げている
この本、終章に近づくにつれ、内容が希薄になってしまうのが残念だけれど
地方警察・自衛隊の確執、エゴそして振り回される現場の隊員たちの悲しみと疲れ
米軍の迅速な初動とそれを抑え込んだ政府、搭乗者なちの苦悩
それらの記述は、他の本や映画、記事と同様
怒りと悲しみがこみ上げる
ネットサーフィンで簡単に、ブラックボックスに記録された音声を聞くことができるけど
人が多く亡くなった場所を訪れて、少しでも痛みを感じることは、
Web世界にいる以上、より必要だと思う。
今でも、松原湖の爽やかな夕景の向こうに響く爆音は、夢に見る。
Posted by はやあさ at 2010年06月07日 10:43
520名となっているが、
実際の命は521名。
生まれる前の赤ちゃんが、母胎から放り出される形で遺体で発見されている
思い出した。
あの日、開けたあの斜面で、無常観に満ちた「臭い」をかいだんだ。
気持ちが、押しつぶされそうになった。
実際の命は521名。
生まれる前の赤ちゃんが、母胎から放り出される形で遺体で発見されている
思い出した。
あの日、開けたあの斜面で、無常観に満ちた「臭い」をかいだんだ。
気持ちが、押しつぶされそうになった。
Posted by はやあさ追伸 at 2010年06月07日 11:00
はやあささんこんにちは。
貴重なお話ありがとうございます。
まさかあの日に近くにいらっしゃったとは!
しかも墜落前の謎のヘリ!
やっぱり疑惑だらけですね。
90年代の後期に慰霊の園には行ったことがあります。
バイク数台でツーリング途中に寄りました。
敷地を散策して慰霊塔で手を合わせただけでしたが、
なんかこう空気が重たくて
涙が止まらなかったのを覚えております。
ヤスさんが死ぬ前に、真相を語ってほしいと切に願います。
おらがとある方から聞いたキーワードは
臨時便・通常より巡航高度が低い・燃料が2/3ほど残っているはずにしては燃え方が小さい・どこで捨てたのか・
垂直尾翼に付着したオレンジ色の衝突痕・
自衛隊・スパロー・ロンヤス・プラザ合意……etcetc...
大きな大きな陰謀が感じられて夜も眠れないっす。
521の無念。決して風化させてはいけない気がします。
貴重なお話ありがとうございます。
まさかあの日に近くにいらっしゃったとは!
しかも墜落前の謎のヘリ!
やっぱり疑惑だらけですね。
90年代の後期に慰霊の園には行ったことがあります。
バイク数台でツーリング途中に寄りました。
敷地を散策して慰霊塔で手を合わせただけでしたが、
なんかこう空気が重たくて
涙が止まらなかったのを覚えております。
ヤスさんが死ぬ前に、真相を語ってほしいと切に願います。
おらがとある方から聞いたキーワードは
臨時便・通常より巡航高度が低い・燃料が2/3ほど残っているはずにしては燃え方が小さい・どこで捨てたのか・
垂直尾翼に付着したオレンジ色の衝突痕・
自衛隊・スパロー・ロンヤス・プラザ合意……etcetc...
大きな大きな陰謀が感じられて夜も眠れないっす。
521の無念。決して風化させてはいけない気がします。
Posted by なおたろ
at 2010年06月07日 18:42
